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いま「日本ワイン」がアツイ!

日本ワイン格付け研究所

since 2018/3/1
Japanese Wine Rating Reserch
利害関係のある業界関係者にはゼッタイできない(ただのワインマニアだからできる)、いっさい忖度のない評価を勝手に発表します

​研究所の目的、所長の信条です

実際の試飲にもとづき、ワインとワイナリーをこちらで評価しています(日々更新中)

2023/7/29更新

格付け作成時の評価基準です

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​2018/8/4 新しいURLをゲットしました↓
https://www.japan-wine-ranking.net/home 

急速に向上する日本ワイン

 日本では古代に大陸からブドウの樹が持ち込まれており、以来各地でわずかながら栽培されてきた。しかしそれは必ずしもワイン醸造とは結び付いていたものではなかった。事実上、組織だってワイン醸造が開始されたのは1980年代から1900年代ころにかけてである。ただ当時、ワインづくりのノウハウも充分でないため失敗例も少なくなく、苦難の道を歩んだ。需要もほとんどなく、細々と作られるだけであった。当時、辛口ワインは日本人の口に合わなかったのか、作られたワインの多くが甘味を加えた甘味果実酒(リキュール)であった。

 第2次大戦中が勃発すると、ワインから軍需物資としての酒石酸(酒石酸からレーダー用に使用するロッシェル塩を生成する)を得るために、軍によりブドウ栽培とワイン醸造が奨励された。しかしそれは楽しむためのワインづくりではなく、品質は求められなかった。そのため戦後もその評価は低いままで、広がりを見せることはなかった。

 山梨など、生食用のブドウを多く栽培する地域では、それなりの量のワインが作られるようになったが、それはメインの商品としてワインを売り出すというよりは、あくまで傷んだりして出荷に向かないブドウを有効利用するというのが主目的であり、お土産用、あるいは農家が日本酒の代わりに自家消費するためにつくられた「葡萄酒」であった。悪く言えば、廃物利用であり、それらも品質を求めるものではなかった。

 

 1960年代になると、大手飲料メーカーを中心に、ワインを販売する酒造メーカーも増えてきた。しかしながら、ほとんどの大手メーカーは、宣伝のためごく少量生産するフラッグシップワインと一部の銘柄をのぞいて、品質を追求しようとはしなかった。彼らがメインで生産したのは、わずかな日本産ワインに輸入ワインや、輸入濃縮果汁から作ったワインを大量にブレンドしたものであり、こうしたほとんど外国産の原料で作られたワインを「国産ワイン」と名乗って販売した。日本の緩い国内法もそれを認めた。しかしその品質が国際標準には及ぶべくもないことは自明である。こうした事態が横行したのは、国内で作られるワインの品質の低さ、高コスト、少量で不安定な生産量、日本人の「国産」信仰、ずさんな日本のワイン関連法令があいまった結果であるが、こうした事態を長らく許していた消費者の見る目のなさというのもその一因であろう。

 

 こうした詐欺まがいの手法について、日本では表立って批判する者が皆無だったせいで、残念ながら現在でもまだ進行中である。わずかばかり改善されつつあるものの、当面なくなることはないだろう。唯一の希望は、日本産のブドウ100%で日本国内で醸造されたワインだけが名乗れる「日本ワイン」の創設である。おかしな法律に基づく国産ワインを認めたまま「日本ワイン」を創設するなど、海外の方からすると、本当にばかばかしいと思われるだろう。実にその通りである。まがいものの国産ワインがこれからも流通し続けることは実に腹立たしい。しかし少なくと日本ワインの誕生によって、徐々に「国産ワイン」は市場から排除されていくなら、それは一歩前進と言えなくもない。

 

 日本ではワイン創世記をのぞき、長らく酒造メーカーとブドウ生産者が分かれている。農家がブドウを作り、酒造メーカーはほとんど農家から(なるべく安く)買い取ったブドウでワインを作る。これはいまや世界的に見てもかなり立ち遅れたやりかたであり、特異であるが、その理由にはこうした背景があるものと思われる。

 

 とはいえ、今の日本のワインづくりにも光明がないわけではない。ここ10年程の間に、新しい動きが胎動し、いまやそれが猛烈な勢いで加速しつつある。小規模で意欲的なブティックワイナリーの設立が急増し、あくなき品質の向上を競いはじめてきたからである。もちろん彼らが作るのは「日本ワイン」だけである。ワインに魅せられ、都会生活を捨てて田舎に移住し、耕作放棄地を借りて一からブドウ畑を作り、ワインの醸造に乗り出す人々が後を絶たないのである。若者もいるが、中高年がその中心である。彼らのほとんどは家族経営である。彼らは都会からいきなり転身する者、日本やヨーロッパなどの大学で醸造を専門に学んだ者もいる。こうした動きは全国的なものであるが、こうした人々を積極的に支援する動きのある長野県においてそれは顕著である。北海道、新潟県においても注目すべき動きがある。県単位の品質でいうなら、山形県も見逃せないだろう。

 また山梨県にあまたある酒造メーカーの新しい担い手たちの中にも、こうした動きに同調し、自社畑を増やしたり、品質を追求する動きを見せている。彼らの強みは受け継いだ施設や、少ないながらも自社畑を持っていることである。いっぽうで、これまでの醸造経験はさほど役に立たず、むしろ前述の県内の伝統が新しい動きの足かせになっているという弱みもある。それを打ち破るのは容易ではないが、それだけにそうした挑戦には敬意を表したい。

 

 大手酒造メーカーは、国産ワインをまだあきらめていないが、こうした動きに後れを取るまいと、自社畑の拡大と日本ワインへの生産の増大に動き始めている。

 そしてこうした新しい動きの成果は早くも出始めている。日本では、ジャーナリストたちが、ごく最近まで「梅雨があり、土地の肥えた日本の風土は、ワイン用ブドウの栽培に向いていない」とずっと言い続けてきた。しかしながら、それが単なる思い込みであったことを、最近出来上がったワインが証明し始めている。日本人は、モノづくりに誠心誠意向き合う民族である。その創意工夫がジャーナリストの想像を軽々と乗り越えただけなのかもしれない。

 

 驚くべきは品質向上のスピードである。生産量は極めて限定的ながら、初ヴィンテージから数年以内に素晴らしい成果を収めているところも少なくない。それが世界的に認められる日も遠くはないだろう。

 私には、今の日本ワイン醸造家は、必ずしも濃度を追求するのではなく、土地やブドウと語らいながら、なるべく自然な形でそのポテンシャルを引き出すことに集中しているように思える。特に、ブドウづくり重視の観点から、自社畑にこだわり、そこに気の遠くなるような労力と愛情を畑に注ぎ込んでいるところがいくつもある。はっきりいうが、畑にこんなに手間をかけている国は世界のどこにもないだろう。こうした姿勢は実に素晴らしいことで、わくわくせざるを得ない。

 

 日本では、シャルドネが特に成功を収めていて、メルロー、ピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニヨンといったヨーロッパ系ワイン用品種のほか、元来生食用でワイン通には見向きもされなかったマスカット・ベーリーAや甲州種でも素敵なワインが若干でき始めている。そして実際にはもっと多種多様な品種が栽培されている。面白いのは、それがさほど土地に依存していないように見えることだ。実験的な試みもあるだろうが、北海道でドイツ系のブドウが多いほかは、どこでも、どんな品種でも作っているという印象である。

 

 2018年現在、日本にはワインを醸造しているメーカーは、270箇所ほどある。うち、少なくとも50箇所ほどは世界標準レベルを間違いなく超えていて、うち20箇所ほどはさらに素晴らしい。まだ植樹してから10年未満の若い畑も多いが、いまでも魅力的なワインにたびたび出会う。1ファンとしては宝探しがやめられない。しかし、本当の楽しみは今後10年である。悩みは、すでに日本国内では名声を高めているワインがいくつかあって、入手が極めて難しいことである。


 無理な話なのかもしれないが、クオリティを現在以上に保ちつつ、生産量を少しばかり増やしてほしいと願うばかりである。

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